2013年3月27日水曜日

出産を振り返って


ブログを書くのも久し振りです。
やっと新しい生活も落ち着いてきました。

本日、新しく産まれたいのちの出生届を無事に富山市に提出して来ました。
出生届の提出にも一悶着あったのですが、それはまぁいいとします。


さて、忘れぬうちに、出産を振り返っておこうと思います。

1つ前のブログでご報告した通り、3月14日午後6時55分、女の子を出産しました。
妊娠中、性別は聞かなかったのですが、実家の母の宣言通りあおたんは女の子だったようです。

母子手帳によると、分娩時間は20時間34分。
喉元過ぎれば・・・とやらで、そんなに掛かったっけ?!というのが、産んでから振り返っての感想です。
物凄く痛かったハズなのに、もうその痛みも忘れています。
だから女性は何人も産むことが出来るのかもしれません。
不思議。

そもそもの始まりは、13日未明の破水。
でも量が少量だったため、「破水??」という感じで、様子を見ていました。
立ったり座ったりすると、少しだけ漏れるようだということに気が付いたのが朝9時頃。
ごはんを食べて、洗濯をして、一応入院の準備をしてから、11時頃、病院に連絡しました。
そして、12時に病院へ。
診察の結果、破水確定で、子宮口が3cm開いているため、入院することになりました。
全開大が10cmだし、陣痛は来ていないので、先は長いなぁと思っていました。

入院後、GBSと破水のあおたん感染予防のお薬を点滴。
GBSはその後、8時間毎に点滴することになります。

お昼がまだだったので、相方さんが病院の1階にあるドトールでごはんを買って来てくれました。
「のんびり食べれるのも今の内かもね」
なんて、本当にその時はのんびり話しながら頂きました。

夜8時過ぎに、一度お夜食持参で様子を見に来てくれたり、本当に甲斐甲斐しくお世話して貰って、私は幸せ者です。はい。

陣痛が来ないから、特にすることもなくて、持って行っていた「神様のカルテ2」を読みながら就寝時間を迎え、ベッドのライトの下で読んでいました。


23時過ぎ、読み終わった頃、なんだかおなかの辺りが張るような身に覚えのある鈍痛が…。
先月の前駆陣痛のような波が来て、iPhoneに入れていた陣痛の間隔を測るアプリを起動。
どうやら、6~8分間隔で陣痛が来ているようでした。
夜中に見回りで来てくれた助産師さんに陣痛が来ているようだとお話し、耐え忍ぶことに。
お隣りで入院されている方が切迫早産の方で、イビキをかいて寝ておられたので、痛くなっても「痛い・・・」と言えず、寝るにも寝れずの状態で、これが出産というものか・・・と洗礼を受けた感じがしました。

でも、まだこれは序の口でした。
この後、おなかの張りだけでなく、だんだん腰も痛くなって来て、助産師さんが見回りに来た時に押してもらうと少し楽になるという状態。
相方さんは陣痛が来たら召喚予定だったのですが、夜中だったし、前日からの大風であまり眠れていないようだったので、呼び出すのもなんだか可哀想で我慢していました。
でも、夜中3時過ぎ、耐え切れず、別室で陣痛をやり過ごせないか助産師さんに相談したところ、隣りの4人部屋が誰も使っていないので移って良いとのことで、移動しました。
それと同時に相方さん召喚。
4時過ぎには病院に来てくれました。ありがたい。
フェルデンクライスのプラクティショナーなだけあって、腰を押すのは上手でした。
痛くなるタイミングで温めてみたり、押してみたり。
その繰り返しで夜が明けました。

9時半過ぎ、「こんなに痛いんだから、子宮口も随分開いてるんじゃ?!」と期待して受けた内診で『6cm』と言われ、絶望(苦笑)
まだまだ先は長いな・・・と覚悟を決めました。
先生も
 「今日の日中には産まれるかな」
とのこと。
日中って何時から何時まで?!と思いながら、出血が増えて来たので、分娩用の服と下着に着替えました。
もともと腰痛持ちだったのですが、妊娠中は相方さんにケアして貰っていたので、腰が痛くて困るようなことはなかったのですが、まさか陣痛でこんなに腰の痛みは悩まされるとは思っていませんでした。
生理痛はいつも軽い方だったし、おなかが痛い方が耐えられると思っていたのですが、腰の痛みは本当につらかったです。

早く子宮口を開くためにはスクワットと歩くこととのころで、陣痛の合間にスクワットを助産師さんとして、助産師さんが居ない時は相方さんとスクワット。
4人部屋を歩き回り、トイレで排便するの繰り返し。
陣痛だって知らない人が見たら、本当に変な人です(苦笑)

そして、痛みに耐えかねて、病室の床で這いつくばったのがお昼過ぎ。
それを見た助産師さんが
 「分娩室ならば、四つん這いになっても手足が痛くないから、移動しましょう」
と声を掛けてくださり、移動。

13時過ぎに分娩室に痛みの合間に移動し、分娩台の上で腰の痛みに耐え、痛みの合間にまたスクワット。
途中、トイレに行ったりもしました。
その時点で子宮口は8cm。
まだ2cmもある・・・orz と絶望(笑)

そのまま痛みに耐え、15時過ぎ、9.85cmと言われた時には、
 「0.15cmくらいオマケしてよ!」
と本気で思いました。えぇ。

結局子宮口が全開大10cmになったのは16時過ぎ。
奇しくも満潮の時間。
女性の身体とは本当に凄いものだと思いました。
自然に影響されて生きているんだなぁ。。

全開大になっても、どうもあおたんはまだ上の方にいるらしく、なかなか降りて来てくれません。
全開大だけれど、分娩の準備にはならず、痛みの合間にスクワットをし続けていて、目処が立たず、助産師さんも交代の時間で、心細いの一言。
病院てこういうもんなんだなぁ。。仕方ないけれど。涙。

ほとんど寝ていない私自身の体力もだんだん限界になって来て、17時頃の内診で陣痛も弱まって来たこともあり、陣痛促進剤を投与することになりました。
15分毎に1単位ずつ徐々に増やしていく投与の仕方だそうです。
陣痛促進剤は出来れば使いたくなかったけれど、でもそんなこと言っていたら、いつまで経っても産まれない状態が続きそうで、心が折れかかってました。

促進剤を入れても、結局そこまで陣痛は強くならず、18時過ぎに相方さんが私を慮って助産師さんに
 「終わりが見えず、本人の体力も気力も限界なんですが、なんとかなりませんか?!」
と言ってくれ、そこから一気に動き出しました。
その時点で、あおたんの位置は「1」と言っていたそうです。

分娩の準備が始まり、陣痛の波に合わせていきみますが、上手くいきめず、あおたんは降りて来ない状態。
先生から「吸引分娩をして、ダメならば鉗子分娩」との提案があり、出来れば鉗子分娩は避けたいので、吸引分娩でなんとか産み出すことに。

その直前、相方さんが持って来ていたSOLのRock'n Chocoを口に入れてくれました。
チョコと生姜の味。絶対忘れない。
これが力になったのか、会陰切開後、吸引分娩の器具を産道に入れ、1回目のいきみで頭が出ました。
股の間から見えたあおたんはやっぱり青かった。
だから、ちょっと怖かった、というのは本音です。
赤ちゃんになって・・・、と願いながら、次の陣痛で2回いきんで、肩と足も。
無事誕生したのが、18時55分でした。

「女の子ですよ」
の声に涙が溢れました。
本当に良かった。無事に産むことが出来て。

3926g、52.0cmの本当に大きな女の子。
こんなに大きかったら、出てくるのも大変だったよね。
良く産まれて来てくれたね、ありがとう。

でも、大変だったのはここから。
お産て、産み出すだけが全てじゃないのですね。
私の場合、後産が大変でした。
あおたんを胸に抱き、カンガルーケアをしながら、その間相方さんは2~3割の確率で、私が死ぬんじゃないかと思っていたそうです。

へその緒を切られたあおたんを胸に抱き、こんな顔だったのね、と思っている最中、先生方は胎盤を出そうとしていたのですが、いつまで経っても出ないなぁと思っていました。
後から聞いたのですが、その時、実はへその緒を引っ張っている最中にへその緒が千切れてしまったそうです。
つまり、私の子宮の中に千切れたへその緒と胎盤が残された状態。
後日、自宅出産をお願いしていた助産師さんに母乳マッサージをお願いした時に聞いたのですが、医療者として一番焦る事態だそうです。
先生が手を入れて、胎盤を探していたそうです。
時間が掛かる訳ですね。
なんとか胎盤を見つけ出し、取り出したところで、出血量は2240ccだったそうです。
最初、1100cと聞いていたのですが、その倍あったとは。。
その場で聞いていたら、血の気が更に引いていたと思います。

会陰切開したところを縫合する時には、静脈瘤があるかもしれないとのことで、随分縫われてしまい、暫く円座ナシには座れないという事態にも。。

ともあれ、大量出血のため、ブドウ糖を大量に輸液されました。
それと同時に、子宮収縮薬も。どうもあおたんが大きかったため、子宮自体が収縮しづらくなってしまったようです。
そんなに出血したから当然と言えば当然なのですが、意識朦朧として、目を開けるのすら怠い状態。
あおたんを抱っこ出来るような状態ではなく、このまま眠ったら死んでしまうのではないか・・・という妄想に囚われる始末。

相方さんがお互いの両親に出産した旨、連絡をしに行っている間、誰もいない分娩室で、腰をさすられているような感覚がありました。
多分、きっと一昨年死んだ父だったような気がしています。
 「頑張って生きなさい」
って叱咤激励されていたような気がします。
でも、その時は「連れて行かれるっ!!!」って思ってしまって、必死に目を開けようとしていたんだけれど(苦笑)
結果オーライとはいえ、勘違いしてごめんね、パパ。

点滴されながら、血液が随分出てしまったので、「ごはん食べなさい」と助産師さんにも言われ、相方さんが作って来てくれていたおにぎりを少しだけ頂きました。

動けず、母乳を上げられるような状態ではなく、あおたん自体の血糖が下がってしまったので、ミルクを上げて貰いました。
大きく産まれた子は低血糖になりやすいそうで、まさしくあおたんも低血糖になり掛かっていました。
母乳を最初に上げたかったけれど、でもそんな状態でも状況でもなく、ミルクを上げて貰うことに。
これから長い育児で母乳を少しずつ上げられればいい、と自分に言い聞かせながら、でも、何にも出来ない自分が腹立たしく、そして申し訳なかったです。

点滴が最後の1つになったのが、23時過ぎ。
身体を拭いて、着替えさせて貰って、病室に戻ったのが0時前。

本当に長い1日でした。
でも、相方さんが傍で支えてくれて、あおたんもとっても頑張って出て来てくれて、私も痛みに耐え、産み出すことが出来て、忘れられない1日になりました。


そうそう、あおたんと呼んでいたこの子。
名前が決まりました。

「丹穂(にほ)」と言います。
相方さんが付けました。

名前の由来は、今年は癸巳の年で、五行では水と火を表すらしく、その間を取り持つのが土なんだそうです。
「丹」は、土を表すそうです。
そこから、稲穂がたわわに育つようにということみたいです。

しかも、「丹」は赤を表すようで、胎児期は酸素を吸っていないので、青い状態だった胎児名・あおたんが、無事に産まれて赤ちゃんになれた!という意味もあるようです。

万葉集の中では「匂い」を「丹穂い」と書いていたそうで、相方さんの名字に「花」が付いているので、それに対しても良い流れなこともあり、「丹穂」になりました。
思いの外、深い名前で、凝り性の相方さんらしいなぁと思っています。

長くなりましたが、我が家に加わったニューフェイスを今後とも宜しくお願い致します。

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