2013年3月31日日曜日
母乳とミルク
お陰様で生後17日目も無事終わろうとしています。
相方さんの多大なる協力の元、どうにか育児してます。
本当に有難い限りです。
さて、今日は母乳とミルクについて思っていることを書いてみようと思います。
丹穂を産んだ病院はUNICEFとWHOが認証しているベビーフレンドリーホスピタル(BFH)を取得している病院だったこともあり、母乳育児を推進してました。
私も出来ることならば母乳で育てたいと思っていたので、とてもありがたいことでした。
でも、「出産を振り返って」でも書いたように大量出血で、母乳を上げたのは次の日になってから。
それまでは病院にお預かりして貰って、ミルクを5ccずつ飲ませて貰っていました。
だから彼女の最初のごはんはミルクだった訳です。
母子手帳に「最初に飲んだのは母乳・ミルク」という欄があって、地味に凹んでいました(苦笑)
出来ることならば私だってミルクじゃなくて母乳が良かったよーー!
まぁ、過ぎたことは仕方ないです。
出産翌日からは起き上がることから始めて、座れるか、立てるか、とひとつずつ出来ることをクリアしていく状態でした。
しかも座れたとしても、会陰切開による縫合の傷が痛んで、円座がないと座れない。
それでも痛いから、痛み止めを頂いていました。
そんな状態でも、産まれて来た丹穂の育児はしていかなければいけません。
病院の助産師さんに助けて貰いながら、母乳をあげてみることに。
お互い初めてのことで、最初から上手に出来る訳がありません。
こちらもどうやっていいのか分からず、あちらも吸い方を知らない。
病院にいる間、まさに母乳の特訓のような状態でした。
「横抱き」「交差横抱き」「脇抱き」「縦抱き」・・・etc
まだ朦朧としていて、かつ寝不足状態の中、専門用語が飛び交い、もう何が何だか分からない私(苦笑)
言われるがままに丹穂を抱き、乳首に彼女の口を当て、助産師さんが介助してくれて、グイッと口の中に押し込む。
飲めてるの?泣いてるんだけれど?
これも特訓のうち?
でも、母乳でなんとか育てたいという気持ちもあって、入院中は一生懸命、丹穂に母乳をあげようと必死でした。
丹穂のお口は、大きく産まれた割りにおちょぼ口で小さく、大きくなかなか開けてはくれません。
しかも、私の母乳も右と左では形も違えば、出方も違う状態。
今にしてみると、私は勿論のこと、丹穂自身も混乱していたように思います。
出が悪いので、乳腺を太くするためにも、搾乳を始め、それを母乳の度に飲ませるようになりました。
少しでも初乳を丹穂にあげることで、免疫を渡してあげられたらという一心で、助産師さんに搾って貰いました。
なかなか産まれて来なかった時、陣痛を起こすために母乳マッサージをしていたのが功を奏したのか、搾ってもらうのはそんなに痛くなかったのは不幸中の幸いでした。
生後3日目で体重が出生時より300g近く減ってしまい、搾乳を飲ますだけでなく、更にミルクを足すことになりました。
生後1日目と2日目の夜は、30分~1時間置きには泣いてしまって、途中助産師さんが「少し寝てくださいね」とお預かりしてくれたりの繰り返しだったのは、母乳をあげていても足りていないせいだったのだと思います。
私の「母乳!」という考えよりも、丹穂の健康な人生の始まりの方が大事だから、ミルクを足すことには躊躇はありませんでした。
母乳が足りていないのならば、少しずつやっていけばいい。
そう思っていたのですが、病院で母乳をどれくらい飲んだか測る際、どうも全然飲めていないことが判明。。orz
飲む前と飲んだ後で体重に変化がなかったのです。
30分も吸い続けているのに、飲めてないって何事?!
一応母乳は搾ったら出てくるのですが、飲めていなかったのです。
お口と乳首の形が合致していないから?
飲ませ方が悪いの?
助産師さんも一生懸命飲ませようとして、丹穂のお口を大きく開けては乳首を含まそうとするのですが、そうすればする程、反り返って泣く娘を見て、もう心、折れちゃいました。。
母乳じゃなくてもいい。
こんなに泣く娘に無理矢理飲ませようとは思わない。
それが退院前日の夜のこと。
相方さんはその日お仕事だったのですが、無理を言って帰りに病院に寄って貰って、溜まりに溜まった気持ちを吐き出し、病室で大泣き。
母乳だけでなく、実は黄疸の数値もギリギリのところを推移していたこともあって、もう不安で仕方ありませんでした。
その時は本当に限界だったのだと思います。
相方さんは少し落ち着くまで一緒にいてくれて、帰って行ったのですが、母乳に対してはもう自信がない状態。
黄疸の結果が良ければ、次の日に退院なのですが、病院側から「母乳外来」の薦めを受けました。
丹穂の体重の減りが大きかったことと、母乳の出が悪い(そもそも飲めていない)ので、週1回は体重測定や母乳マッサージや飲ませ方の指導を受けて欲しいとのことでした。
火曜日に退院で、遅くとも金曜日までには一度来て欲しいと言われました。
新生児を連れて、病院通いを週1でするのは、正直産後の身体にはキツイというのが私の感想。
しかも、泣く娘に無理矢理乳を飲ませるのは、心が折れてしまってもうしたくなかった。
なので、自宅分娩を考えていた時からお世話になっていた助産師さんが出張で母乳マッサージもして下さるので、その方にお願いしたいと病院からの提案は丁重にお断りしました。
病院に行くよりも、これから始まる自宅で育児の延長線上で母乳があった方がいい。
例え母乳が出なくても、病院ではなく、自宅でケアを受けたかったのです。
自宅分娩を取り扱っている助産師さんは、退院後3日目に来て下さることになり、母乳マッサージと、病院とは違った形で母乳の含ませ方を教えてくれました。
母乳マッサージを受けた私の母乳は、その前とは全然違って、丹穂も飲んでくれるようになり、飲む前と飲んだ後の体重もなんと0gから20gに大きく変化!
母乳育児に希望の光が射したように思いました。
少しずつですが、前進して行ったのが、本当に嬉しかったです。
少しでも母乳をあげられる。
それはこんなにも幸せなことなんだなぁと思いました。
右乳ばかり飲まれて、左乳は見向きもされなくても、それでもミルクと混合になりながらも、ちょっとだけどあげられる。
どこまで母乳をあげることが出来るかは今後の二人の頑張り次第だけれど、無理せず二人のペースでやっていけばいいんだと思いました。
妹や周りのお友達は退院時からミルクを足さずに母乳で頑張っていたので、母親失格なんじゃないかとか、挫折感を味わったりもして、涙する時も多々とありました。
でも、相方さんが一生懸命哺乳瓶を煮沸してくれて、ミルクを作ってくれ、疲れた私の代わりに夜中に丹穂にミルクを上げてくれたりと、献身的に心も体もサポートしてくれて、救われた気がします。
退院した次の日に遊びに来てくれた母や妹親子、叔父叔母にも気分転換を含め、本当に助けて貰いました。
母も叔母も、母乳ではなくミルクで私たちを育てていて、「ミルクでもいいじゃない!」と言ってくれたのは有難かったです。
妹も一時期混合にしていたので、ミルクの使い方をよく分かっていて、助言をしてくれました。
「母乳!」と頑なになっていた自分がなんだか恥ずかしく、ミルク併用でも母親自身が楽しく育児出来る方が赤ちゃんにとっても良いのだろうと、やっと割り切ることが出来ました。
そこに辿り着くまで本当に長かったです。
ミルクは確かにいろんなものが入っていて、母乳と違って化学製品のような感じがあるけれど、でもそのお蔭で丹穂は体重も増え、元気に育っている。
嫌だ嫌だと思うのではなく、有難く、母乳をあげながらも、足りない部分で補って貰えばいいと思えるようになりました。
相方さんもミルクをあげてくれて、その姿はなんだか微笑ましかったりもするし、父娘のコミュニケーションの一環にもなっているならば、それはそれでありなのだと思います。
今後、完ミになるかもしれないし、完母になるかもしれないし、もしかしたらこのまま混合でやっていくかもしれない。
でも、どういう風に転がろうとも、一生懸命考えて、悩んで、泣いたり笑ったりしながら導き出した答えだから、きっと受け入れられると思います。
きっと今は出来ることを出来る限りやっていくだけの時期なんだと思います。
無理はしないけれど、やれることはやっていこう。
そう思っています。
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